無名精神科看護師のただの戯言ですよ。

『看護は思いやり』を信念に活動する大学教員の戯言です。

『死』〜大学教員キャリア迷子物語〜

目次

これは5年前の2018年12月10日に僕が書いた記事。

読み直してみると、今と考え方はあまり変わってない。

現在、僕はキャリア迷子真っ只だが、この機会に

もう一度『死』について考えてみたいと思う。

『死』をどのように考えているか、決してネガティブな内容ではないので、

安心して読んでほしい。

これは不器用な生き方しかできないムメカンが教授になるまでの

苦労や葛藤を描くリアルストーリーである。

僕の生き方や考え方が少しでも誰かの役に立てれれば幸いである。

将来の夢は死ぬこと

僕は毎日ではないが、『死』を意識して生活している。

明日、僕は死ぬかもしれない。

別に調子が悪くなったわけではない。

心身ともに健康だ。

健康だからこそ、考えなければいけない。

今日は本当に後悔してない1日だったのか?

振り返る時間を時折設けている。

こんな『死』を意識するようになったのは、

大学院生時代に行ってるときの倫理学

きっかけでもともと看護学生時代から

倫理学生命倫理には関心があった。

院生時代の倫理学の先生が教えてくれた言葉が

今でも強烈に残ってて…

ぜひ皆さんもここだけは読んでほしい。

そのときの質問がコレ。

(先生)…あなたの将来の夢は何ですか?

(ムメカン)…大学院を修了することです。

(先生)…修了したら次の夢は何ですか?

(ムメカン)…看護大学で教員になることです。

(先生)…その次は?

(ムメカン)…職位をあげていきたいです。

(先生)…その次は?

(ムメカン)…????

このやりとりをみて、何か感じましたか?

このとき先生が教えてくれたのは、

【ヒトの将来の夢は死ぬことだ】

これをきいたときに、

ずっとずっと心の中でモヤモヤしていたものが、

一気に晴れたというか…

何て言えばいいのかわからないが、

スッキリしたのは覚えてる。

人は死を遠ざける

続けて先生は言う。。

【いかに人が『死』を遠ざけて生きているか?】

僕らは普段から『死』というものを

あたかも非現実的なものとして捉えている。

それは、僕も然り。

現実的に『死』というものは、

いずれ自分たちにもやってくるのに

なぜか僕らはその『死』を

非現実的なものと捉えようとする。

なぜか?

『死』というのものが

怖いからと僕は思っている。

そりゃそうだ。

僕だって死にたくないし、

怖くて怖くてたまらない。

元気で長生きできるならば、

ずっと長生きしたい。

でも今の医療や科学では不可能。

近い将来、不老不死になれるかもしれない…

それまで生きれたらいいけど、

おそらくムリだ。

それならば…

僕にも遅かれ早かれ…

『死』がやってくるのであれば

それを受け入れるしかない。

看護師なら絶対知ってるよね?

キューブラー・ロス

僕もその受容を間違いなく辿るだろうし、

どうせ辿るなら

受容までのプロセスはなるべく

早い段階で受容に辿りつきたい。

そうなるためにも

僕はこうやって

普段から『死』を身近に意識するようにしている。

こころにゆとりがあるときだけだが…。

2つの『死』

医学的な『死』は3つ。

・呼吸停止

・心拍停止

・瞳孔散大、対光反射消失

僕らは学生時代にこの3つを必ず習う。

学生時代はこの3つをひたすら暗記するものとして

覚えていただけで、非現実的なものだった。

そして、もう一つの『死』は、

皆さんの記憶から忘れ去られること。

僕はこの2つではないかと思っている。

逆に言うと…

忘れ去られない限り、僕は生きている。

ちょっと哲学的かな!?

とにかく、『死』は…冗談でもなく、非現実的なものでもなく、

僕にも僕の家族にも…

そして皆さんにも絶対的に訪れるものである。

本当の『死』とは?何なんだろうか…。

僕が生きる意味

こうやって『死』を意識してると

やはり僕自身が

生きていた証というものがほしくなる。

ブログとかの活動がまさにそれ。

僕の生きた証。

死んじゃうとブログとかは消されるのかな?

Facebookは消えるという話をきいたことがある。

もし、消えるのならば、

一生消えないものを残すしかない。

身近ものでいうと写真。

これは消えない。

ただし僕はわがままである。

【看護師だった僕】というものを残しておきたい。

今の僕なら論文がそれにあたる。

人生初めて僕の投稿論文が

論文集に掲載されたという通知がきたとき

真っ先に思ったことが、

僕の生きた証が残った!

だった。

論文の内容はどうでもよくて、僕が看護師であり、

論文集に掲載されていたという事実が重要だった。

現在、論文は共著も含めていくつか掲載されている。

まだまだ生きた証を残したい。

そのうえで臨床の方や患者へ還元できるような

研究をたくさんやりたいし、

そういう研究者になりたいと思ってる。

皆さんの生きた証は何ですか?

明日は必ず来ない

こうやって振り返ってみると

僕自身『死』についてアップデートできていたのか、

不安な部分もあるが、

何か重要な決断を迫られたとき

決まって後悔しないか?

を念頭に考えている。

前回のブログにしても後悔するならやってみて後悔した方がいい。

そう思って宣言した。

そう考えると今も昔も僕は変わってないような気もしてくる。

そして最後に

明日が必ず来るとは限りません。

大事な大事な1日を誰かを咎すために使うのではなく、

自分を大切に思ってくれる家族や友人に使う方が

とても効率的だと思う。

今度は2023年版の『死』について、機会があれば

そのときにでも書いてみたいと思う。

 

※ここに記載されたものは僕個人の意見であり、

所属する組織を代表するものではありません。

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