無名精神科看護師のただの戯言ですよ。

『看護は思いやり』を信念に活動する大学教員の戯言です。

授業に哲学を!〜大学教員キャリア迷子物語〜

目次

「そんなの教科書見ればわかるからいらない!」

2024年1月24日。

ふとした雑談の中からとある教授の先生が

僕の講義に対してのヒントを与えてくれた。

年末年始から今いち調子が上がらない僕は

その先生が熱を込めて話す講義とは?の話を

夢中になって聞いていた。

これは不器用な生き方しかできないムメカンが教授になるまでの

苦労や葛藤を描くリアルストーリーである。

僕の生き方や考え方が少しでも誰かの役に立てれれば幸いである。

授業構成を僕は知らない

大学教員は専門学校の教員と違って教員研修みたいなものない。

教員は授業を行う際に事前に授業案というものを計画する。

看護師でいうところの看護計画だ。

授業を行うときにはどんな目的、何を達成したいのか、

どんなところに注意するのか、など

授業に関する計画をたてる。

この授業案を専門学校の教員は研修等で学ぶと思うが、

大学教員にはない。

自ら研修に参加し学びに行くか、教授等に指導をいただくか、

とにかく自分で参考書を読みながら勉強するしかないのである。

僕自身も毎回ではないが、

授業案を計画し、授業を行っているが、

あくまで自己流でありノウハウには限界がある。

その中で僕なりに導き出した答えは

国家試験の出題基準だ。

出題基準に沿って、授業を行えば

大きく逸れることはないだろう、

この出題基準が僕にとって数少ない選択肢の中での

良い授業の道だと信じていた…。

授業は国家試験の勉強でなくていい

意味がわからなかった。

教授は続ける。

「国家試験の勉強は時期が来たら対策講座があるよね?

そのときにすればいい!」

「極端だけど、病気や法律とかって教科書みれば書いてあるよね?

見れば書いてあるんだから!」

「そんなことよりも、限られた時間で何を伝えたい?

この授業で何を学んでほしい?」

「授業であなたの看護観を伝えることが学生にとっての

良い授業、良い学びだと私は思っている!」

目から鱗とはこういうときに使うんだろうな。

教員を始めてある程度年数が経っているが、

授業で僕の看護観なんて一度も話したことがなかった。

いや、むしろそういうものは必要ないと思っていた。

教授は続けて話す。

「精神看護のことはわからないけど、

その人がその人らしく生きていくことが大事って話してたよね?

ならばなぜその考え方が大事なの?

まずはそこを学生へ伝えるべきじゃない?

あなたが大事だとなぜ思うのか?まずはそこからだよ!」

教授の熱を込めた授業観は、

ドンドン僕の胸にぶっ刺さっていく。

本当にその通りだ、しかない。

「そこを初めて理解して、

その人がその人らしく生きていくためには、

病気を理解しないといけない、社会資源を理解しなければいけない、

法律を理解しなければいけないって学生は思うんじゃないかな?」

「もっと先生の哲学(看護観)を出して良い!」

「先生だったらできる!頑張って!」

何とも贅沢な時間だった。

直接的な上司ではないにも関わらず、

いつも気にかけてもらっている。

本当に感謝しかない。

来年度は僕の哲学(看護観)を伝えていくだけだ。

僕はまだまだ成長できる!

※ここに記載されたものは僕個人の意見であり、

所属する組織を代表するものではありません。

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