無名精神科看護師のただの戯言ですよ。

『看護は思いやり』を信念に活動する大学教員の戯言です。

初めての講評者〜大学教員キャリア迷子物語〜

目次

悲しみに打ちひしがられても明日はやってくる。

2024年3月9日。

今日はとある病院の看護研究発表会。

これは不器用な生き方しかできないムメカンが教授になるまでの

苦労や葛藤を描くリアルストーリーである。

僕の生き方や考え方が少しでも誰かの役に立てれれば幸いである。

傷心⇒故郷

助成金獲得失敗から1週間経過した。

悲しみが癒えることはない。

そんな中、僕は傷心旅行として実家へ帰った。

空港に迎えに来てくれた母ちゃんが会って一言。

「あんた顔パンパンやね。」

僕も自覚していたし、言われたくないことだった。

しかし、母ちゃんに心配はかけたくない。

母ちゃんには息子は関東で頑張ってるで、

と安心してほしい思いから

最近、食にハマっててね、と明るく返した。

顔はパンパンであれど、

実家に帰ると父ちゃんが嬉しそうに、

「今日は美味いご飯屋さんに行くぞ!」と

はしゃいでいる。

父ちゃんは僕が顔パンパンでも関係ないらしい。

帰ってきてくれたことが嬉しいみたいだ。

自己中心的で怒りっぽく、ザ昭和みたいな父ちゃんだが、

家族思いであるのを知っている僕は、

2つ返事でオッケーし、両親と外食した。

店内から聞こえる地元弁。

見慣れた景色。

最近までずっと住んでた町。

助成金獲得失敗した僕には十分すぎるほどの

癒しの環境。

本当は父ちゃん、母ちゃんに国からこれだけの助成金をもらって研究するようになったんだよ!!

と自慢げに報告したかった。

医療職でもない、研究職でもない両親に

そのことを言っても理解はしてもらえないだろう。

だけど、何かすごいことを息子はしたのかな?

ぐらいはわかってくれると思う。

一緒に喜んでくれたと思う。

報告したかったなぁ。

両親、きょうだい、高校・大学時代の友だち、

元職場の先輩、

帰省している間はたくさんの人たちと触れ合い、

僕の心の傷も少しずつ回復に向かっていった。

ね?

僕には友だちが1万人いたでしょ?

帰省の間、僕の体重は3キロ増えた。

どうなる!?講評は大丈夫か?

今日は1年間助言をしてきたとある病院の看護研究発表会。

僕は最後に講評を頼まれている。

どんなに辛いことがあっても、

明日はやってくる。

悲しくて気分が乗らなくても

やらなければならない。

大学教員として助言をしてきた僕しかできない役割だ。

基本的に僕は事前の準備はしない。

発表を聞き、

そのとき僕自身が感じたことをそのまま伝えようと

いうのが信条だ。

昔は人前で何か話すときは事前にカンペを作っていたが、

人前につく機会が多くなったということもあり、

やめた。

もちろん自信がないときは使うときもあるが、

基本的には準備はしない。

伝えることは生モノだと思っている。

誰かに届けたい、伝えたいというときは

緊張感もあるが、その場勝負。

もちろんそれで失敗したこともある。

でも、この方が個人的には伝わるはず。

そして、本番。

まずは自己紹介。

しかし、発声している言葉は辿々しい。

このままだとヤバいかもと思いながら、

発表者へ称賛を送りながら急ピッチで考える。

序盤、ピンチだったが、

初めての講評は上出来だったと思う。

中盤から最後にかけての構成は自分なりにできたと思うし、

誰かには看護研究の素晴らしさが届いたはず。

また1つ僕は成長できた。

この年齢でそのポジションを与えてくれた

病院関係の皆さんに感謝しています。

いつかやってみたかった病院の看護研究発表会での

大学教員としての講評。

また1つ夢が叶いました。

生きてりゃ悲しいこともたくさんあるけれど、

生きてりゃ嬉しいこともたくさんある。

発表者を見に来ていた師長からのお礼は嬉しかったな。

悲しみに明け暮れている場合ではない。

また一歩ずつ前を向きます。

いつもの僕みたいに。

 

※ここに記載されたものは僕個人の意見であり、

所属する組織を代表するものではありません。

=======================

フォローやいいね!、RT、リプライ👇👇

Twitterアカウント

URL:https://twitter.com/mumeiseisinkaNs

感想や意見、質問、相談などなどブログにコメントしてくれるとうれしいです!!

はてなブックマーク(ブログの最後にある青いB!のボタン)してくれると、

ほんまうれしいです!!

facebookでシェアやtwitterでツイートも飛び上がって喜びます!! 

 =======================